連載コラム「トップホールディングス誕生物語」

連載「トップホールディングス誕生物語」COLUMN

1964年に父が創業したトップ産業を引き継いで、2代目として歩んできた歴史をトップグループ3社設立とともに振り返り、2023年にグループを統括するホールディングス会社設立までを記した連載コラム「トップホールディングス誕生物語」。 多様な時代背景の中で生きた激動の歩みとトップグループの成り立ちが、お読みいただく皆様の未来につながることを祈りながらお届けします。

【第二章】役員の反乱、そしてトップ産業への入社

1997年、事業拡大を続けていたトップ産業で、「反乱」が勃発しました。
役員同士が対立を深めた結果、商品企画や仕入れを担当していた役員が、仕入れ先の情報を持って競合他社に移ってしまったのです。
大切な仕入れ先を失うかもしれない、という一大事。
困り果てた当時の取締役が家にやってきて、「このままでは会社が潰れる。会社に入り、次世代を担ってほしい」と必死に私を説得しました。

ところが、心配して父に尋ねてみると、父自身は誰かに頼る気持ちはないようでした。
これは自分が招いた失敗。たとえゼロからでも自分でなんとかしなければ、と思っていたのでしょう。
混乱の渦中に私を巻き込みたくない、という気持ちもあったのかもしれません。
私も松下電器での仕事にやりがいを感じていたので、辞めるつもりはありませんでした。

それでも取締役は、何度も何度も私の家に来て説得を続けてくれました。
彼が父を慕う気持ちや、「多くの人に喜んでもらっているこの事業を衰退させてはいけない」という想いは痛いほど伝わってきました。

私自身も、父が「生活文化創造企業を目指して」という理念を掲げて事業活動を続けてきたことは知っています。
人の生活を楽しく、面白くするための事業。そこには、松下電器の水道哲学にも通じるものがあります。この会社を絶対になくしてはいけないという気持ちは、私も一緒でした。
繰り返し説得されるうちに、「これが父の息子として生まれた自分の人生。天命なのかもしれない」と感じ、期待に応えるしかないという気持ちで入社を決めました。

父からは、「お前の意志なら、それでいい」と言われただけです。ただ、後から取締役に聞いたところによると、実はかなり喜んでいたそうです。

1998年、トップ産業に入社。幸いにも、私が入社したことで、大半の仕入れ先は「二代目が未来を担ってくれるなら」と取引を続けてくれ、会社の危機は早々に乗り越えることができました。
そこにはきっと、父がこれまで築き上げてきた信頼関係という確かな基盤があったのでしょう。
そしてここから、私のトップ産業での奮闘が始まります。