連載コラム「トップホールディングス誕生物語」

連載「トップホールディングス誕生物語」COLUMN

1964年に父が創業したトップ産業を引き継いで、2代目として歩んできた歴史をトップグループ3社設立とともに振り返り、2023年にグループを統括するホールディングス会社設立までを記した連載コラム「トップホールディングス誕生物語」。 多様な時代背景の中で生きた激動の歩みとトップグループの成り立ちが、お読みいただく皆様の未来につながることを祈りながらお届けします。

【第三章】挑戦と失敗の連続。そして大量の退職者が・・・。

トップ産業に入社した私は、早々に大きな課題にぶつかりました。
全ての業務が人の手に頼りすぎていて、とても非効率だったのです。売上の集計を模造紙に書いて貼り出しているのを見た時は驚きました。当然、残業も長時間にわたります。それどころか、夜遅くまで働く社員を「良い社員」と見なす風潮さえありました。

そこで私は、活用されていなかったデスクトップパソコンを使って業務を効率化しよう!と勇んで業務改革に着手しました。ところが、これが大混乱を巻き起こすことになります。

手始めに、手書きしていた企画書の作成を自動化する、新しいシステムを導入しました。
しかし、大失敗。イレギュラーな項目が多すぎて、結局は人の手で情報を追加しなければならず、全く役に立たなかったのです。多額の費用をかけて導入したシステムが無駄になってしまいました。それだけでなく、当初からパソコンの導入に否定的だったベテラン社員たちが、「やってられない」と次々辞めてしまいました。

失敗の原因は、私が現場をよく知らないまま、なんとかしなければ!という気持ちだけで先走ったから。
「大変なことをしてしまった...」と思いました。

とは言っても、業務のIT化は避けられません。私は次に、古くなって使いずらくなってきていた基幹システムを切り替えることにしました。
しかしこの時は、先の失敗を教訓に、システム専門の担当者を新たに採用しました。外部の業者に委託しなかったのは、現場の意見を内部でしっかりと吸い取った上でシステムを構築する必要があると感じたからです。

同時に、本社をもっと便利な場所に移したいと思い、移転を計画しました。新しい環境でテスト運用もしないまま基幹システムを切り替えるなんて、今考えれば無謀でしかありません。突き進む原動力は、「何とかよくしたい!」という勢いだけ。システムが動作しなければ受注業務もストップするため、切り替えにかかる社員たちへの負担は非常に大きいものでした。

そしてここで再び、大量に人が辞めてしまうという大事件が起こります。