連載コラム「トップホールディングス誕生物語」

連載「トップホールディングス誕生物語」COLUMN

1964年に父が創業したトップ産業を引き継いで、2代目として歩んできた歴史をトップグループ3社設立とともに振り返り、2023年にグループを統括するホールディングス会社設立までを記した連載コラム「トップホールディングス誕生物語」。 多様な時代背景の中で生きた激動の歩みとトップグループの成り立ちが、お読みいただく皆様の未来につながることを祈りながらお届けします。

【第四章】激動の時代。失敗も成功もすべて社員が教えてくれた

再び教訓となるような大事件が起こったのは、2001年に本社を移転したときでした。
移転と同時に、それまで本社で商品の注文を受け付けていた受注部門を、本社から少し離れた物流センターに移動させました。受注部門と商品の倉庫が近くにある方が効率が良いだろうと考えてのことでした。

確かに、業務効率は上がりました。なおかつ営業活動が活発化したことも相まって更に業務が忙しくなってしまいました。当時受注業務を担っていたのは、ほとんどが家庭を持つ女性社員。勤務地も業務内容も変わったことで、本社から移動した主要なメンバーが辞めてしまいました。

入社当初から「事業は人」と考え、社員とはたくさんコミュニケーションを取ってきたつもりです。自分の想いを伝えると同時に、相手の考えにも耳を傾けることに力を注いできました。しかしこの時は、相手の意見を十分に聞くことなく、良かれと思って勝手に行動に出てしまいました。

人の心が見えていないじゃないか。
もっと本心から社員に向き合わなければ。
そう反省した出来事でした。

それでも、「やらんよりやったほうがまし」、という考えは変わりません。
大きな変化が生まれれば、社員には大変な苦労をかけます。だからと言って途中でやめれば、社員の信頼を失ってしまう。やるからには絶対に成功させる!という気持ちでした。

そう考えて突き進む私に、若手社員たちはワクワクしながらついてきてくれました。
会社は、成長を続けていました。その実感がある中で、私がやろうとしていることに共感を抱き、「ついていけば、この会社はもっと良くなるのでは」という希望を持ってくれていたのです。

例えば、基幹システムの入れ替えにあたって採用した担当者は、本社移転の数日前から一人で移転先に乗り込んで、全ての床を剥がして配線工事までやってくれました。
また、売上の半分を占めていた東京にも拠点が必要だと考え、東京営業所を新設した際には、入社3年目の社員が、営業所長として東京に行ってくれました。移転2日目、デスクの到着が間に合わず、何もないガランとしたオフィスで、段ボール箱に電話だけを置いて業務をしてくれていた姿は今でも目に焼き付いています。

これまで、いろんな社員に会社の一大事を託してきました。こんなことを頼めば「辞めます」と言われるんじゃないか、と内心不安になりながら。しかし社員は、意気を持ってやり遂げてくれました。当時を支えてくれた彼らは今、幹部となって会社を引っ張ってくれています。

変化の多い、激動の時代でした。しかし実はこの同じ期間に、さらに大きなターニングポイントとなった出来事がありました。